聖書のことば 11月号


「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30

 

 安らぎを得られる 

唐津カトリック幼稚園 園長 江夏國彦 

今年のノーベル平和賞に「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が受賞しました。79年前に広島と長崎で被爆された方々を中心に、その家族と市民の方々は核兵器廃絶を訴え続けて来られました。日本被団協は、世界平和を願う人々、日本のみならず世界の人々を倦むことなく鼓舞し、リードしてこられました。その功績が認められたのです。今日の世界情勢を鑑みるときに、核兵器が使われる確率がこれまでになく高まっています。だから受賞の意義は大きいと思います。

長崎の教会で、わたしは6年間働きましたが、長崎に赴任して一番驚いたことは、長崎では平和のためのイベント、集い、子どもの学習会など開かれ、またマスコミを通して平和についての番組などを毎日のように絶えることなく行われていたことでした。平和を維持するには、継続したこのような努力が必要なのだと思いました。まさに「継続は力なり」です。

しかし、平和で経済的に恵まれた日本の社会であっても、いやそうだからこそかもしれませんが、世界平和を考えることには飽きてしまい、自分の今の生活、自分のことで精一杯である人も多いことでしょう。どんな人も様々な悩みを抱えて生きています。重荷を背負わされて生きているようなものです。特に、子育て真最中の若い人々は、日々の重荷は時々重くのしかかることもあるでしょう。

  仕事や子育ての疲れ、病人がいると看病疲れ、そして人間関係の難しさに押し潰されそうになってしまうかもしれません。人間的な弱さや限界、自分のことで精一杯であり、他人の重荷、苦しみなど気付くゆとりのない現実の生活を省みるとき、今日の聖句のようなことばは、誰でもそう易々と言えるものではないのです。しかしキリストは、その生き方において、無制限に、無差別に、十字架上の死に至るまで自分を与え続け、私たちへの深い理解、利己心のない愛を注いでくださったのです。そして今も絶えることなく、私たちを支え、育て御自身の命を与え続けておられるのです。だから私たちの苦しみを一番良く理解しておられる方なのです。

私たちは自分の弱さ、ちっぽけな存在であることを知れば知るほど、イエスの言葉は、重みがあり、慈悲深い言葉として響きます。その生き方の源泉は、私たちに対する溢れるほどの愛、慈しみでした。キリストの倦むことのない、絶えることのない愛に私たちが学び、真の安らぎを得て真の平和を生きる者となれますように。

 

 

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