聖書のことば 12月号

 

末蘆館での収穫祭 10月


聖句

「いと高きところには、栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」( ルカによる福音書2章:14節)

 

クリスマスと神の国


 唐津カトリック幼稚園 園長   江夏國彦

  クリスマスの月になったというのに世界に起きている二つの戦争はまだ終わりそうもありません。「今までに戦争のなかった世紀はない」と言われる世界の現実を前にして「神の国」など夢物語のようにしか思われるかもしれません。クリスマスはメルヘンチックでお祭りのような年中行事にしか映らないのでしょうか。

 しかしイエス・キリストが誕生した時代の人々は、いつか神が支配する国、神を中心にした国を政治的権力と力の支配によって建設する人物が現れて、争いのない平和で幸せな時代が来ると考えていました。これが、当時の人々の神の国にたいする考え方です。長い間、圧政に苦しんでいた人々は苦しみから解放されることを願っていたのです。しかも多くの人々がイエスこそ将来、神の国を建設してくれる人物ではないだろうかと期待していたのです。しかし、そうなることを望んでいない人々もいました。当時の為政者たちは、神の国が実現することは、自分たちの政治的な有利な地位が奪われるかもしれないと危惧していたからです。

 だから当時の為政者たちが、神の国はいつ来るのかとイエスに尋ねたのです。「実に、神の国はあなた方の間にあるのだ」とイエスは答えられました。神の国は、最高主権者としての神の支配する国を言いますが、いつ来るのか、どこに来るのかと言うようなものではありません。いつなのかという問いは、時間的な問いです。どこに来るのかという問いは場所的な問いです。神の国は、時間的な国でもなく、場所的な国でもありません。

神の霊である聖霊が思いのままに働かれるとき、時間も場所も超えて、いつでもどこでも神の国が私たちの間に到来しているとイエスは教えられたのです。イエスの弟子であった聖パウロは「神の国は、聖霊によって与えられる神の義と平和と喜びです。」(ロマ書:14:17)と述べています。

  クリスマスの出来事は、まさに神の霊が思いのままに働かれ、一人の乙女マリアが聖霊によって身ごもるという、神の不思議な業が行われたのです。それは人類救済という神の愛と義の実現に向けての始まりでした。この大きな喜びの出来事は神がなされた神の国の実現の一つなのです。

 クリスマスは神の国の実現であり、始まりです。この幼子をメシア(救い主)と信じ、受け入れる者にとっては神の国がいかにこの世の国とは違う国であるかを思い知らされるのです。時間的観念も場所的観念も超えて、神の国の完成の日に向けて、この幼子に導かれ、共に喜びと希望を抱いて生きる時代が到来し、始まった日がクリスマスなのです。