聖 句
「神の国は『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書17章:21節)
唐津カトリック幼稚園 園長 江夏国彦
今月の聖句は、人々が「神の国はいつ来るのか」とイエスに詰問した時の返事です。当時の人々は「神の国」を、神さまを中心に平和で、豊かで、お互いに愛し合った幸せな国として捉えていました。いつかそのような国が来ると考えている人が多くいたのですが、当時の為政者たちにとっては、神さまが中心とした神の主権と支配を認めることは、自分たちの地位が危ぶまれることになるのでイエスに問いただしたのです。
ところで「神の国はあなたがたの間にあるのだ。」という言葉をどのように考えたらよいのでしょうか。少なくとも神の国とは、場所的に捉えてはならないことは確かです。「神の国」という場所があるのではなくて、むしろ私たちの心の状態が問われているのです。あなたと私という人格的交わりの在り方の状態によって「神の国」が来ているのか否かが決まるということでしょう。またこのことは、死んだ後に突然、「神の国」に入った状態になるというのでもなく、死ぬ前から、この世にある時から、まだ不完全であるが神の恵みによって「神の国」入った状態になることができることを意味します。そしてこの世にあって少しずつその状態は始まって、神よって完成されるのです。人間の力だけでは不可能なことも神には可能であると信じるからです。
地球温暖化による自然現象の異変にしても、また政治的にも経済的にも人々を不安にさせる出来事が世界各地で起きています。インフルエンザやコロナウイルス感染症などが世界的大流行(パンデミック)なども不安や恐れを抱かせます。更に、領土をめぐっての争いや、自由を求めての戦いが世界各地で起きています。日本も近いうちに戦争状態に追い込まれるかしれないと不安を抱いている人は多いと思います。今日起きている問題の多くは、一国だけでは解決できません。だから、この世界に神の国を建設することは難しく、そんな国など非現実的であるように思われます。
しかし今私たちが何も努力しなければ、私たちの子孫の未来はないでしょう。いくつも不安要素がある世界情勢の中で、少しずつではあるが、改善しつつ、遠い道のりではあるが、希望のうちに実行してゆく機運が生まれています。この道のりにおいて一人一人が大切にされ、愛し合う社会になるように、そして国々がお互いに理解を深め、助け合い、世界が一つの心になって行くことを願い、何かできることをすることは、神の国を建設するプロセスだと思います。
神の国は死後の世界のことだけではなく、この世の世界において既に始まっているのです。それが永遠に続くものとして、この世にあるときから造り始めるものです。愛し合う人間関係の上に造られるもの、即ち世界の人々との建設的な良き対話によって造られるということです。科学技術の発達によって、グローバル化したことは負の面があるとしても、それ以上の交わりを深めるために素晴らしいことです。聖句にあるように「神の国は、わたしたちの間にある」のだということを自覚したいと思います。