聖書のことば 7月号

聖 句

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主(神)から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。・・・主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」(旧約聖書 詩篇121編)

 

生かされている命

唐津カトリック幼稚園 園長 江夏国彦

 子供たちにとって、7月は夏休みが待ち遠しい月です。私は、小学生のころ川原で遊んでいて、命拾いしたことがあります。夏休みに、都城市にある「関ノ尾の滝」へ兄弟三人で出かけ、滝の上流の川原で遊んでいたときの出来事です。そこは大きな岩が沢山ありました。山のほうから流れて来る水は滝となって滝壺に落ちるのです。岩と岩との間は小川の水が滝の方に向かってとうとうと流れています。

  私たちは岩から岩へとぴょんぴょん跳ねて、はしゃぎ回っていました。その時、私が乗っていた岩に兄が飛び乗ってきたのです。すると体の小さい私ははじき出されて流れの早い小川に落ちて流され始めたのです。その様子を遠くで見ていたもう一人の兄がすぐ下流のほうへ回って待ち受けて、私を助けてくれました。兄の助けがなかったら、私は水流に押し流されて滝壺に落ちていたかもしれません。今から思うとあの時、神は兄を用いて危機から私を守り、救ってくださったのだと思っています。

若い時は自分の命は自分で生きていると思っていても、実は神に守られ生かされている命であることに気が付かされる時があります。私たちは、神さまの助けなしには一日、一秒たりとも生きてゆけない存在であり、神さまに生かされている命なのです。保育の現場では、子供が怪我したり、発熱したり、お腹の具合が悪くなったりすることがよく起こります。そして子供の生命力の力強さを感じさせられることもしばしばです。体験を通して強くなっていくのです。しかし、人間の力を超えるものもあることを忘れてはなりません。

 人間は自分の力で生きるのだと力んでもいけませんが、単に「神に生かされている」ことに甘んじてしまってもいけません。与えられた資質を十分に発揮して自分の使命を果たすべく「生きる」のです。自分の意志で、自分の力で「生きる」ことを神は求めているのです。そのために「神に守られ生かされている命」だからです。