イエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。
母はこれらのことをみな、心に留めておいた。(ルカ福音書 2章49-52節)
今月の聖書のことばにある「父の家」とは、この場合エルサレムの神殿のことです。当時のユダヤの社会では、12才になると大人の仲間入りをしました。その年齢になったイエスは、律法を守るために両親と一緒に過越祭の祭り行くことになったのです。そのために初めて、両親と30キロ近く離れたエルサレムに歩いて上られたのです。帰路にあった時でした。両親は大勢の人々の中で少年イエスを見失ってしまい、一日かけてエルサレムへ引き返して散々探し回った挙句、神殿で見つけました。母マリアは「あなたは、どうしてこんなことをしましたか。お父さまもわたしも心配して、あなたを捜していたのです。」と言われたのに対するイエスの言葉が今日の聖句です。
普通の子供が応える言葉ではありません。母は意味が分からなかったのです。無事見つかって安堵の気持ちだったでしょうが、神殿で学者たちに囲まれて、大人と対話していたのですから、驚いたことでしょう。我が子の成長した姿を見るうれしさと同時に自分の思いを越えて人間として成長している我が子を見て驚いたのです。もう一人の人格を持った立派な大人として、我が子を見つめ直したことでしょう。「母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」とありますが、母マリアにとって忘れられない応答の言葉であり、いつまでも記憶に残る一日になったことでしょう。このような機会は母マリアも我が子と共に成長する出来事となったのだろうと思います。
子育ての毎日の中にあって、何気ない日常の出来事や対話の中にも子供の成長を見出すことがあるかもしれません。いつでも成長過程に沿った対応ができるようになりたいものです。そう務めることは、子供と共に自分も人間的に成長することになるでしょう。我が子と共に成長させてくださる神さまに感謝と喜びをもって応えましょう。