聖書のことば 6月



聖 句

神はこれほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」(新約聖書 コリントの信徒への第二の手紙110節)


 不安の中に生きる私たち

唐津カトリック幼稚園 園長 江夏国彦

 新緑の美しい季節になりました。山菜採りに山に行く機会があるかもしれません。もしかしたら山で突然、野生の動物に出くわすかもしれませんよ。

「クマさんの食前の祈り」という笑い話があります。ある人が森の中でクマとバッタリ出会ってしまいました。こんな場合すぐ逃げないで、クマから目を離なさないほうが良いと聞いていたので、その人はクマの目をじっと見つめていました。すると、クマはうつむいて、目をつむってしまいました。安心して見ていると、しばらくしてからクマは再び頭を上げて言いました。「最期の祈りは済んだかい?こっちの食前の祈りは終わったぞ。」実際にクマに襲われたというNHKのニュースがありました。先月末、北海道・朱鞠内湖(しゅまりないこ)で釣りをしていた50代の男性が被害にあったのです。

動物が与える危害もさることながら、野望と悪意を持った人間が与える危害は、もっとたちが悪く争いや詐欺による被害は後を絶たない現実があります。この世界は何が起こるかわからない危険に満ちた世界です。外からの危険だけでなく、心の弱い私たちは、内からも忍び寄る危険にも晒されます。時には永遠の滅びへといざなわれることもあるのです。しかも将来の見通しが立たない世界。私たちは今、そういう世界に生きているのです。どうしたら不安を乗り越えて生きて行けるのでしょうか。

人の一生はなんと危険に満ちていることでしょう。愛する子の平穏で健やかな成長を願う親は、自ずと神さまの御加護を願うことでしょう。それが人間の本来の姿です。どんな不安の時も神に委ねましょう。冒頭の聖句は、神に助けられたと思える体験を何度もした人のことばです。私たちに大きな慰めと希望を与えてくれます。

自分で選んで決めたことの結果は自分で責任を取るべきです。同様に、神に委ねたことの結果は神が受け止め、神が責任を取ってくださると信じるべきです。たとえその結果が自分の望みと違ったとしても、受け入れる覚悟で神に委ねるべきです。何故なら、いつの日か最終的には必ず「良い結果を得た」と思える日が来るからです。神は慈しみ深い方なのです。

旧約聖書に「我々は人の手にではなく、主(神)の手に委ねよう。主(神)はその偉大さに劣らず、慈しみをもっておられるから。」(シラ書218)と書かれています。どんな不安な時も、きのうも、今日も、そしてこれからも変わらない永遠の愛であり、慈しみ深い神に委ねて生きる人は幸いです。