聖書のことば 3月号

 


聖 句

「主(神)は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。 」(旧約聖書 詩篇33:13~15)


子どもをよく観察しながら

親も共に成長しましょう

唐津カトリック幼稚園 園長 江夏國彦

 子どもを授かると誰でも思うことは、喜びだけでなく、自分と同じように人格を持った人間を自分に、その生命も人間としての成長も、その他様々なことを委ねられていることの不思議さと責任感だといいます。そんな思いで子どもを見つめていると自分が幼かった頃のことを思い出すのです。多くのことは既に忘れてしまったとはいえ、いつの間にか大人として成長し、現在があることを実感するのです。どのようなプロセスを経て成長したのか気がつかないままで現在に至っていることに驚かれるかもしれません。

 この忘れてしまった、あるいは意識すらしなかった成長のプロセスを再発見する歩みは、子どもと共に成長することではないでしょうか。これは大変なことですが、子育ての楽しみの始まりでもあり、自分のさらなる成長の始まりでもあるかもしれません。

 マリア・モンテッソーリは、イタリアの医師であり教育家でした。彼女は、精神病院で障害のある子どもたちの治療・教育に携わり、子どもたちをよく観察することから治療を始めました。その結果、子どもたちから、多くの大事なことを学び、成果をあげました。その後、健常児にも同じ教育法を適用し、最初の「子どもの家」を設立し、子どもを科学的に観察することによって、子どもには自分を育てる力が備わっているという「自己教育力」の存在に気づいたのでした。素晴らしい観察力だと思います。

 さて、一つの例として、子どもが「いや!」と言ったら、どのように受け止めますか。もっと素直な子になって欲しいという思いだけでなく、どこか心の奥には、自己主張ができるようになったのだという思いもあるでしょうか。これは、子どもが独り立ちを始めた証拠、自分は親とは違う人間であることに目覚め始めた証でもあるのです。このような肯定的な受けとめもできているでしょうか。

 では、この例での「いや!」にはどんな思いが込められているのでしょうか。状況によって、様々な事が考えられると思います。状況に適した判断ができるようになるには、常日頃、子どもをよく観察している必要があるのです。まさに、観察力が試されることになります。

 さて、どんな意味が込められているケースがあるでしょうか。いくつかのケースを考えてみましょう。

① 大人の反応を見ている場合があます。子どもは、大人の押しつけではないかという感情から反射的に「いや!」といって、大人がどのような反応をするか見ているのです。大人の期待が大きすぎたり、言葉が強すぎたりした場合によくあることです。

② 失敗を繰り返し体験している場合によく見られます。自分にはまだできないのですという強い意思表示の場合が考えられます。

③ できるかもしれないという思いがあっても、やってみる勇気がない場合もあります。

④ ただ感情的になんとなく、やるのが嫌いと言っている場合があります。

この他にも違うケースもあることでしょう。大事なのは、子どもをよく観察し、適切な反応と状況に応じて時宜にかなった対処ができるようになることです。子どもであっても人格を持った一人の人間として対応することは、自分自身の成長にもつながることだと思います。子どもも親や大人たちを無意識のうちに観察し、良いことも悪いことも学んで成長するのです。今日の聖句にあるように、神さまも私たちをよく観察し、育てておられるのですから。

 以上、子育ては、観察力を身につけることが大切であることを述べてみました。