聖 句
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書15章12節)
大人のまねしながら育つ
唐津カトリック幼稚園 園長 江夏國彦
子供は親の背中を見ながら育つとよく言います。幼児にとって親は一番身近な先生であり、親の話すことば、人との接し方、感情の表し方などいつもまねしながら学んでいるのです。
そこで親が心得ておくべき、三つのことがあります。
①
幼児は、どんなことでも取り入れてしまうほどに吸収力旺盛であるということ。
②
まだ良し悪しの区別ができないので、良いことも悪いことも無差別に親をまねる。
③
幼児期に人間としての人格の基礎が形成される大事な時期である。
以上のことを考えると、親はいつも子供に見られているという意識を忘れないようにしましょう。
親が子どもの良きお手本になることは、自分自身を見直す機会にもなることでしょう。何よりも他人に気遣いができる心優しい子供に成長することは喜ばしいことです。このような子供が増えれば平和な世界になってゆくことでしょう。「平和は子どもから始まる」はモンテッソーリ教育の基本的考え方です。
私は子供の頃に両親が、時々夫婦喧嘩して互いにきつい言葉で罵り合っている姿を見ると悲しくなることがありました。特に父の母に対する接し方や態度を見ていると、自分は愛しているつもりなのだろうけど、随分身勝手な人だなと感じたものです。数日後に、母がつらい思いをしていることだろうと思い、父のことをどのように思っているのか母に尋ねたことがありました。すると、母は父の良いところ、尊敬できるところ、他人に対して慈悲深いことなど沢山話して父のことを褒めたのです。時々言い争いをしても心の底では互いに尊敬し、愛し合っているのだと知り、安心したものです。しかし、子供の前で夫婦喧嘩するのは良くないことです。あってはなりません。また、褒めることができる人は、相手をよく理解している証拠ですし、親が子を褒めることも同じです。自分がよく理解されることは、愛されていると感じて子供は安心するのです。
親はいつも子供に見られているといっても、子供の前で、模範的な態度やことばで何時も振る舞うのは難しいことです。しかし、上記の三つの親の心得を持っていれば、愛する子供に今何をなすべきか、今どのようなことばで接するべきか自然と身につくにちがいありません。少なくとも感情の赴くままの接し方や言葉遣いはしなくなることでしょう。自己流で、身勝手な愛し方は、いつも修正されなければなりません。親も誰かを尊敬し、その人の生き方をまねながら成長するのだと思います。
今日の聖句であるキリストの言葉は、最後の晩餐の席で弟子たちに言い残された遺言のような大事な言葉です。ただ「互いに愛し合いなさい」と言われたのではなく「わたしがあなたがたを愛したように」と条件があるように、独り善がりで自己流の愛し方ではなく、キリストが私たちを愛した、その愛し方をまねて、互いに愛し合いなさいと言われたのです。そうするとキリストはどのように人々を愛したのか学ばなければならないことになります。不完全な人間である私たちにとって「愛する」という言葉は、奥深いものですね。・・・
どんな人もキリストを完全にまねることはできませんが、少しずつまねる生き方をするようにと言い遺したのでしょう。
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