聖句
「 わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、
何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(聖書 フィリピ人への手紙
3:10-11)
唐津カトリック幼稚園 園長 江夏國彦
明けましておめでとうございます。新年も幸多い年になりますように。
幼児期の一年間の子供たちの成長は、目覚ましいものがあります。今年もまた、元気いっぱいの子供たちと学び、人生の歩みを共にするのは楽しみです。同時に、年老いた私にとっては、この世での命が始まって間もない子供たちが愛おしくてなりません。何故なら、わたしのこの世での生活の大半は過ぎ去ったからです。
そして死後の世界と復活を信じる者はだれでも、この世からあの世へと通過するときの神秘を色々と想像するのです。この世に私が生まれ落ちた時、私を愛してくれた人々がいたこと、そして今までの世界と誕生後の世界は全く違ったものであることを医学は教えてくれます。しかし誕生前の世界の神秘を医者も完全にわかっているわけではありません。
そこで、この世の命の世界から死を超えた命の世界へと変遷する神秘を、人の命の誕生のときのイメージで捉えて、想像してみましょう。
母親の胎内に命が宿ったとき、その胎児は、目も見えず、外界にも触れられず、この世を知りません。羊水の中で小さな体に流れ込んでくる栄養を母親から充分貰いながら成長し、生きています。そこは保護され、幸せで安全な世界です。けれども時が来れば、そこを去らなければなりません。その心地よい世界を去るということは、その子にとっては死を意味します。その死を迎えた瞬間、その出来事は死ではなく新しい命の誕生だったのです。その時、大きな喜びに包まれるのです。
母の懐に抱かれた嬰児は知るでしょう。羊水に浮かんでいた時に、どこからかいつも聞こえて来た微かな声は、この人だったのだ、胎内にいる自分に毎日のように伝わってきた振動と時々さする音は、この方の手だったのだ。そして外の世界からの「愛情」というサインだったのだ。自分はあの前の世界、胎内で、生きるために必要なもの全てをこの方から貰っていたのだと。その胸の中で安心して、顔と顔を向き合わせながら、以前羊水の中で栄養分を貰ってきたように又、溢れ出る「おちち」を吸うのです。胎児でいる間は、慈しみ育ててくれている母の存在を本能的に知っているかもしれませんが、はっきりと意識することはなかったでしょう。しかし、生まれ出た後は、その方をはっきりと知る日が来るのです。
聖パウロは信仰によって、神はこの世を超える次元においても新しい命を与えてくださると述べています。この世での命の誕生を喜んだように、さまざまな苦しみを潜り抜けた後に迎える新しい命の誕生である復活をも喜ぶのです。新年は、新しい命への一里塚であり、思いを新たにして人生の歩みを継続し、恵み深い神に感謝を捧げましょう。
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