|
夕暮れ時の唐津城(西の浜海岸) |
死者の月に寄せて
唐津カトリック幼稚園 園長 江夏 國彦
「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」(新約聖書ガラテヤ人への手紙6章:7-8節)
今月は聖パウロの手紙の一節です。聖パウロは、しばしば肉と霊を対比させて語りました。ここで表現している「肉」とは神の意志に従わず自己中心的生き方に傾く心を指し、「霊」とは神の霊に導かれて神の意志に従おうとする心を指しています。
ところで、カトリックは、11月を死者の月として、亡くなった方々を弔う習慣があります。霊に蒔き、霊から永遠の命を刈り取った人の臨終の床で書いた詩を紹介します。この方は、肺癌のため四人の幼い子供を遺して43才の若さで亡くなった牧師夫人(日本基督教団)原崎百子さんです。
「わが礼拝 」
わがうめきよ わが讃美の歌となれ
わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ
わが涙よ わが歌となれ
主をほめまつるわが歌となれ
わが病む肉体から発する すべての吐息よ
呼吸困難よ 咳よ 主を讃美せよ
わが熱よ 汗よ わが息よ
最後まで 主をほめたたえてあれ
(著書『わが涙よ、わが歌となれ』より)
遺された子供たちが、大人になってこの詩を読んだときどのような思いになるでしょう。愛する夫と幼い子供たちを遺して旅立つことは、どんなにか辛く、悲しい現実を受け入れなければならなかったことでしょう。しかし、最後まで自分を見失うことなく、その苦しみを、神のみ旨の中で行われていると信じることが出来たのだと思います。将来のことは全て神に委ね、雄々しく病と戦い、苦しみながらも神を賛美することが出来るほど、神を信頼する心は、神の霊に蒔き、神の霊から永遠の命を刈り取った人といえます。普段から、それほどまでに神に依りすがり、神の慰めと力を得ていたに違いありません。「人は、生きてきたようにしか死ぬことはできない」といいますが、この母が健康な頃の日々の生活は、どのような生き方をしていたのか偲ばれます。いつの日か子供たちには、生前の母の生き方の偉大さを知る時が来て、誇らしく思うことでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿