聖書のことば 10月

 

衣干山さくら公園まで津波避難訓練

どうして争うの?

唐津カトリック幼稚園 園長 江夏 國彦

「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(ヨハネ第1手紙47-8節)

 毎日、武力による国際紛争が多くの地域や国で起きています。おびただしい数の人々の命が奪われています。歴史を見るといつの時代も戦争はありました。戦争は、人間の仕業です。争いの源は人間の心にあります。

公園で子供たちが争っています。ある子供は広場の片隅で泣いています。こんな光景を見るとき、そこに戦争の縮図があるような気がします。人間の持って生まれた性(さが)は、いつどのようにして人の心の中に入り込んだのでしょう。この性は子々孫々まで受け継がれてゆくのでしょうか。このような姿が私たち人間の現実です。

童謡作家、まど・みちお 作に次のような作品があります。

「ありくん、ありくん、きみはだれ? ぼくのなまえは さぶろうだけど

ありくん、ありくん、きみはだれ? 

ありくん、ありくん、ここはどこ? にんげんでいえば にっぽんだけど

ありくん、ありくん、ここはどこ?」

神さまの目からすれば、人間は蟻のように小さく、忙しく動き回り、縄張り争いをしているかのように見えるのかもしれません。しかしそんな蟻のような人間を、神は慈しみの目を持って見詰め、育てておられるのです。この世にあっては「これは自分のもの」「ここは自分の国」」と主張することが、私たちには大きな関心事です。しかし、この世の全てのものは、神さまが造られ、神のものでした。もともとどこにも国境の線引きはありませんでした。だから、みんな神さまを創造主として仰ぐ、兄弟姉妹です。あらゆる被造物に「兄弟なる太陽よ、姉妹なる月よ」と呼びかけたアシジの聖フランシスコに倣いたいものです。聖フランシスコは、今日の聖書のことばを、人間同士にとどまらず、この世のすべての被造物に対しても兄弟姉妹とみる生き方をしました。それで平和の使者と呼ばれています。

 


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